【S.楽園への科学】至高のマッシュト・ポテトを作る

(7/6 0:26加筆 引用文献のオンラインpdfへのリンクを付記いたしました)

皆さん、お元気ですか。

本日は、至高のマッシュト・ポテト(仏名ピュレ・ド・ポム・ドテール)を作ると題して、植物の細胞について見て参りたいと思います。
マッシュ・ポテトではなくて、マッシュト・ポテトですよ。これは、こだわりですw

まず最初に、至高のマッシュト・ポテトとはどんなものでしょうか。
マッシュト・ポテトといえば、ジョエル・ロブション氏のものが有名で、氏曰く「私が三ツ星を得られたのは、じゃがいものピュレとグリーンサラダ(サラダ・パストラルのこと)のおかげ」だそうです。
翻って、「至高のマッシュト・ポテト」の定義について、今回は、

1.じゃがいもの風味が豊かで
2.シルクのように滑らかな舌触りであり
3.クリーミーでコクがあり
4.かつベタついていない

という条件で完成を目指したいと思います。

以上の条件をもう少し具体的にブレークダウンしていくと、

>1.じゃがいもの風味が豊かで
じゃがいもの香りは主に皮に含まれています。
そのため、この皮の香りを材料に抽出して、マッシュト・ポテトとして復元・再構成します

>2.シルクのように滑らかな舌触りであり
専門的に言い直すと、じゃがいもの細胞分離性が高い条件でマッシュすることでサラサラとした滑らかな舌触りになります

>3.クリーミーでコクがあり
ヘストン・ブルメンタールやジョエル・ロブションのレシピに従い、大量のバターおよび牛乳でクリーミーさとコクを出します

>4.かつベタついていない
これは、細胞が破砕されて細胞中から糊状になったデンプンが放出されていないことが条件となります

以上の4点を達成することで、至高のマッシュト・ポテトを作っていきます。

材料
じゃがいも(粉質のもの)  ・・・400g
牛乳(じゃがいもの40%*)   ・・・160g
バター(じゃがいもの40%*)   ・・・160g
塩           ・・・適量
*ヘストン・ブルメンタールやジョエル・ロブションはじゃがいも重量の25%相当の牛乳とバターの使用をレシピ化していますが、ヘストンは「しばしば50%にまで増やしており、とても美味しい」と言っています。

要旨
レシピは以下に付記するとして、今回最も重要なことはいかに均等に細胞分離性を高めるか、ということです。
細胞分離性が低いまま、無理やり物理的な外力でじゃがいもをマッシュすると、細胞が壊れて細胞内からデンプンが流出し、結果マッシュト・ポテトがベタつくことになります。
細胞分離性を高める、というのはじゃがいもの細胞ひとつひとつがダマにならずきれいにバラける状態にするということですが、従来、細胞分離性には細胞内にあるデンプンの糊化(膨潤)が必要と考えられてきました。
つまり、デンプンが水分存在下で熱処理を受けることによって水を含んで膨らみ、それによって細胞自体もボールのように膨らんで細胞間隙が広くなり、細胞同士が離れやすくなる、というモデルです。
しかし、佐藤[1]によると、細胞分離性に大きな影響を及ぼすのはじゃがいもなどの細胞壁を構成するペクチンやセルロースなどの性状、成分変化、熱挙動であり、デンプンの性状が細胞分離性に与える影響は小さいことが示されています(ただし、デンプンは熱により糊化しないと消化性が悪いため、一般的な食品としてデンプンの熱糊化を無視することはできません)。
そして新田[3]によれば、ペクチンはある温度帯においてペクチンメチルエステラーゼ(PME)という酵素によって消化を受け、副次的に細胞間に架橋構造を形成し、硬化反応を起こすことが知られています。具体的には、60~70℃の温度下にペクチンがさらされると硬化反応が起き、細胞同士が非常に離れにくくなります。
これは、経験的に”ゴリイモ化”として知られていました。
そのため、今回の科学的要素としては、いかにペクチンなどを硬化させず、じゃがいもを可食状態(細胞壁を構成するペクチンが軟化し、デンプンが糊化した状態)にできるか、というところに焦点を絞りたいと思います。
なお、竹田ら[2]によると、じゃがいものデンプンは80℃以上でアミロース、アミロペクチンともに糊化することが示されています。
さらに、新田によると、PMEは70℃以上になると酵素活性を失うことが示されています。
つまり、80℃以上で加熱することで、デンプン質の可食状態への糊化とペクチンの非硬化状態の保持の両方を達成できることになります。
また、Kasaiら[4]の詳細な研究によれば、下図のように加熱温度が90℃になると、調理時間と野菜の軟化を示す線分は直線から二次関数的な曲線に移行しており、これはこの温度でペクチンの硬化を軟化が大幅に上回り、野菜が短時間で”煮える”ようになることを意味します。
calcurated_potato_hardness_160703.jpg
さらに、香西による未発表の研究[5]によると、3センチ角のじゃがいもの場合、1分あたり20℃の加熱でも20分で中心部も含めて最適調理時間となることが示されています。また、試料が大きくなればなるほど、もしくは水温上昇速度が遅くなればなるほどペクチンを原因とした硬化反応の影響が大きくなることが示されています。
つまり、まず80℃以上の恒温下でじゃがいものデンプンの糊化とPMEの失活を行い、その後99.5℃以上で最終調理を行うことにします。

翻って、じゃがいもの煮もの(フランス料理でいうエトゥフェ)をしたい場合には、じゃがいもを丸のまま、かつ水からゆっくりと加熱していくと硬化反応で煮崩れしにくくなります。

レシピ

じゃがいもの皮の処理
mushedpotato_1_160704
まずは、じゃがいもの皮をむきます。
ただし、ただ皮をむくだけではなくて、皮を牛乳の中に浸漬して煮たてます。
ここで、じゃがいもの香りを牛乳に移すわけです。
よく、じゃがいもを皮つきのまま茹でて、茹であがりの状態で皮をむく、というレシピがありますが、これはやはり皮から由来する香りを逃さないようにするということと、茹であがりすぎて成分が水中に逃げ出さないようにするためでしょう。
今回は香りは人工的に牛乳へ抽出してマッシュト・ポテトとして再構築しますので、香りが逃げることに関しては心配はいりません。また成分の流出に関しても、じゃがいもを小さくカットし、短い時間で調理するので、成分の流出は最小限です。
(因みに、厳密にいうと、細胞膜は50℃から壊れ始めるので、じゃがいもの調理において細胞からの成分の流出を完全に防ぐことは不可能です。)

mushedpotato_2_160704

mushedpotato_3_160704じゃがいもの皮に

mushedpotato_4_160704牛乳160g(じゃがいも重量の40%)を注ぎ、煮たてます

バターの準備
バターもじゃがいも重量の40%、つまり160gを準備します
mushedpotato_7_160704

じゃがいものカットとボイル(二段加熱)
じゃがいもをカットし、水にさらします。
mashedpotato_5_160704
じゃがいもの大きさは、20cm^3以下が推奨されますが、厚さが1cm以下になると崩れやすくなって扱いずらいので1~2cm程度が良いと思います。前述の香西の研究によれば、上の写真のようなシリンダー型のカットより調理完了時間が短いのは、薄いスライスかフレンチフライのような細いカットなので、後の潰しやすさや扱いやすさを考慮すると、シリンダー型(ロンデル)にカットするのが最も効率的です。

mushedpotato_6_160704
その間、水を82℃に余熱しておきます。
今回、82℃で20分間じゃがいもを加熱しました。
その後、沸騰したお湯にじゃがいもを移し、抵抗なく串が抜き差しできるまで加熱します。

加熱が完了したじゃがいもをライサーという”大きくなったにんにく搾り器”みたいなものにかけます。
mushedpotato_9_160704

mushedpotato_10_160704

すべてのじゃがいもをライサーで潰したあと、
mushedpotato_11_160704

これに冷たいバターをいれ、よく撹拌します。
投入するのを冷たいバターにするのは、バターが冷たいと少しずつ溶けるため、乳化しやすいからです。
mushedpotato_12_160704

さらに、これに熱い牛乳を少しずつ入れ、よく混ぜます。
そして、泡だて器でよく撹拌し、空気を入れるようにしてムースのような軽い仕上がりにします。
mushedpotato_13_160704

最後に、より滑らかにするために、タミを通します。
mashedpotato_14_160704

こうして完成したマッシュト・ポテトは滑らかで、かつベタつきません。
mushedpotato_15_160704

実際、硬化反応を起こす60-70℃の温度帯をじっくり通したじゃがいもをライサーにかけてみて下さい。
結構、ライサーの中に潰しきれない破片が残ったりします。それを苦心して潰す間に、細胞は壊れ、中からデンプンが出てきて、マッシュト・ポテトがベタついてきてしまうのです。

ここまで触れてきた、細胞膜、細胞壁(ペクチン)、デンプンに関して理解すると、じゃがいもの調理ひとつ見てみても「あえて硬く仕上げるのか」はたまた「細胞を細かく分離させたいのか」など色々な方法論があることがわかります。
さらに、古くからの因習である「じゃがいもは皮のままゆでる」というのも、完成のかたち次第では必ずしも守る必要がなく、不要に熱い思いをしなくて済むことにもなります。
まずは、完成を明確に定義し、そこへいかに到るかを模索することが大事ということだと思います。
さて今回は以上となります。
お付き合い、ありがとうございました。

[1]佐藤広顕 (2005). ジャガイモの加工特性に及ぼす細胞分離性に関する研究 日本食品保蔵学会誌 31, 325-332.
[online]http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010763176.pdf

[2]竹田千重乃, 檜作(1974). 各種でんぷんの熱糊化の特徴 日本農芸化学会誌 48, 663-669.
[online]https://www.jstage.jst.go.jp/article/nogeikagaku1924/48/12/48_12_663/_pdf

[3]新田ゆき(1975). ジャガイモおよび他の野菜果実類のペクチン質に及ぼす予加熱の効果 家政学雑誌 26, 173-176.
[online]https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej1951/26/3/26_3_173/_pdf

[4]Midori Kasai, Keiko Hatae, Atsuko Shimada and Sadaaki Iibuchi(1994). A Kinetic study of hardening and softening processes in vegetable cooking. Nippon Shokuhin Kogyo gakkaishi 41, 933-941.
[online]https://www.jstage.jst.go.jp/article/nskkk1962/41/12/41_12_933/_pdf

[5]香西みどり(2008). 野菜の硬さと最適加熱時間の予測
[online]http://www.netsubussei.jp/group/kousai.pdf

 

Bistro2983  Chef Patron

signature_160307

Master of Life Science 生命科学修士

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中